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今月のお話

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「曖昧(あいまい)」・・・



          

11月に入り、晩秋の彩りを期待しながらも、
なかなか暦通りに色づかないもので、
寒暖の差にこちらの衣服だけが色を変えるばかりです。

そんな季節の変化をよそに、アメリカでは、
次期大統領が決まり、時代の変化に注目が集まっていますよね。
既成政治の枠組みに一石を投じた選挙結果は、
かの国の話に留まらないだけに、
私たちも期待と不安が入り交じるところ。
好きか嫌いか、イエスかノーか・・・。
二元論で判断できるほど簡単ではありません。

目下の懸案事項の一つ、TPP交渉も然り。
着地させるにはあまりに難しい問題です。
なんだか曖昧とした空気が漂うような・・・。


さて、この曖昧という言葉。
物事の意味がはっきりしないでぼんやりした様を言います。
以前に本欄で書かせていただきました有耶無耶という仏教語に
通じるもので、禅宗の「何々は有りや無しや」の問いかけに対するこたえ。
つまり、有りとこたえても、無しとこたえてもだめということ。
有るようで無い、無いようで有る、その有耶無耶な世界を超えた
先に絶対的な安らぎがあるとする考えに至るならば、
捉え方は違ってくると思いませんか。


よく日本人は曖昧さを好むなどと言われますが、
落語等にも登場する、昔の江戸っ子など、何にせよ、
白か黒か、右か左か、どちらかに決めないと
気持ちが落ち着かないわけでして、この限りではない・・・。
それでも日本人が曖昧とされるのはなぜか。


これは、ある学者によれば、人間関係を円滑にする知恵とのこと。
曖昧さには、先送り、責任の所在が不明など、場合によって弊害はあるでしょう。
しかし、反面、物事の余白を残すことで、いたずらに相手を追い込んだり、
抜き差しならない事態になることを避ける力にもなるというのです。
曰く、他者との協調を重んじるということ。


時代はまさに協調を求めています。


しばらく私たちも注視していきましょう。
そう、曖昧にせずに・・・。

冬の来る前に、納骨や永代供養、
墓所をお考えの方、そして法要など
仏事の相談をとお思いの方は、
どうぞ、お気軽に当院までご相談ください。
ご連絡いただけましたら、
いつでもご案内申し上げます。




ありがとうございます。


                                                     合掌



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