「無縁(むえん)」・・・
春から夏へ、花便りを紡ぎ、
夏から秋へ、青空をゆく雲を追う。
そうして、今、
すっかり秋らしくなって、
季節の移ろいが足下に
黄紅の絨毯を敷き始めました。
また、お米をはじめとして、
様々な産物が収穫期を迎えてます。
すべてはこの時を待っていた
という感じがしますよね。
自然も人も同じ。
種を蒔き、育んだのち、
花を咲かせ、結実する・・・。
加えて、様々な外的要因が
必然と偶然を織り交ぜながら、
結果に関係をしていくもの。
それは、〜のせいにする、
ということではありません。
総じて「縁」といえるものでは
ないでしょうか。
つまり、世の中のあらゆる物事は
決して「無縁」ではないということ。
無縁。
仏教では、その原因を助けることで、
結果を導く作用のことを意味します。
原因だけがあっても縁がなければ、何も生じない。
無縁=非存在となり、故にこの世に存在するものに
無縁はないということなんです。
収穫された自然の恵みも、
今、生かされている自分自身も、
すべからく縁をいただいたものと知るべし・・・。
深まる秋、
ご先祖様に手を合わせて、
感謝の気持ちを伝えてはいかがでしょう。
さて、錦秋の古都、奈良へ
どうぞ、散策にいらしてください。
合わせて、納骨、法要、永代供養などお考えの方は、
どうぞ、お気軽に当院までご相談ください。
ありがとうございます。
合掌