「諦(あきら)める」・・・
各地で梅雨入りが宣言され、
アジサイの開花が待ち遠しい、6月の始まりです。
梅雨は、春から夏への区切りを告げる季節。
あのジメジメは頂けないわけですが、
自然界には、大切な潤いのひとときなんですよね。
汗ばむ蒸し暑さも、ここはひとつ諦めて、
知恵を絞って乗り切りましょうか。
さて、この諦めるという言葉、仏教語でありまして、
「諦」は、サンスクリット語でサティヤといい、「真意」という意味。
ですから、元々「真実を明らかにする」のが、諦めることなんです。
いつ頃からか、何かしようという気持ちを途中でやめてしまう意味で
用いられるようになりました。
しかし、本来の意味で考えてみますと、東日本大震災以降は特に、
「諦める」こととは何か、問われている気がいたします。
真実=本当に大切なもの=は何か・・・。
利便性の上に甘んじてきた私たちの日常生活、
心の豊かさを真実と見れば、未来志向的な「諦め」もまた、
必要なことなのかも知れません。
またバブルの到来か、と、景気浮揚のニュースが報じられる度、
諦めるタイミングが気になりまして・・・。
杞憂であることを願うばかりです。
さて、当山のある奈良県は、
梅雨時ならではの自然の美しさ、里山の癒しがございます。
ぜひ、訪ねてみてください。
この癒しの季節に、ご納骨、永代供養をお考えの方、
お気軽にご相談ください。
ありがとうございます。
合掌